所在地 : 忠南礼山郡徳山面伽倻山路400-74
お問い合わせ : 報徳寺 041-337-4350
現在の南延君之墓のところに、以前は伽倻寺という寺があった。そして、その寺の中心に位置するところに金塔があり、その地が二代にわたって王を輩出する「二代天子地」という、風水で縁起の良い場所とされた。そこで、興宣大院君は、麻谷寺(朝鮮時代の忠清道一帯の本寺)の僧侶2人に、伽倻寺に火をつけさせた。
その後、高麗時代に懶翁和尚が建立した金塔を取り壊し、父親(南延君)の墓を京畿道漣川の南松亭から改葬した。
伽耶寺に火をかけた罪悪感に苛まれた興宣大院君も、彼の息子である朝鮮26代高宗王の即位と同時に伽耶寺を継承し、1871年(高宗8年)に焼失した伽耶寺の東にある瑞雲山の南麓中腹に新しい寺を創建して、仏様に贖罪するという意味でこの寺を「報徳寺」と命名した。
- 極楽殿
忠清南道指定有形文化財第145号('95.10.7)に指定されており、極楽殿を中心に左側に2階建ての西別堂、正面に住職室、住職室の右側に東別堂があり、その右に池がある。極楽殿は、前面3間、側面2間の桁丸太、二翼工からなる5梁の家で、切妻屋根の二軒になっている。
- 石灯
忠清南道指定有形文化財第183号('84.5.7)に指定された石灯は、高さ1.2mからなる花崗岩でつくられた八角形の石灯で、一面だけ窓ではなく壁面になっており、ここには四天王像が彫刻されている。
所在地 : 忠南礼山郡徳山面伽倻山路401
お問い合わせ : 礼山郡観光案内所 041-339-8930
興宣大院君の父親にあたる南延君の墓で、この南延君之墓が位置する場所には本来、伽耶山一帯で最も大きい寺であった伽耶寺があった。
風水地理説の左青龍、右白虎が雄大に伸びており、「二代天子地」即ち、二代にわたって王を輩出する地と言われていたため、興宣大院君が父親である南延君の墓を京畿道漣川にある南松亭からこの地に改葬したのである。当時、王権に野心を抱き、安東金氏から白眼視されていた大院君にとっては、この上なく良い機会であった。
そこで、99の庵を有するほど大きな寺であった伽倻寺に火をかけさせ、金塔を取り壊して墓地空間を設けた。また、後世に盗掘されることを懸念して、鉱さい1万斤に生石灰を混ぜ合わせて墳丘とした。臨時の墓があったところは、「旧壙址」といわれて現在もなお穴状になっており、墓の前方には2体の石羊と2基の石柱が墓の左右に配置されており、その前方には「二大天子之地」と刻まれた石灯がある。
1868年のオペルト盗掘事件、そして、全州李氏滅亡後は荒廃化したものの、陵墓として後代の人々の手によって保存され、現在に至る。
所在地 : 忠南礼山郡礼山邑香泉寺路117-20
お問い合わせ : 香泉寺 041-335-3556
香泉寺は、金烏山の香炉峰の麓にある古寺で、百済末期の義慈王16年(西暦656年)に当代の高僧・義覚によって創建されたが文禄・慶長の役で全焼、その後、滅雲大師によって再建された。現在は、以前の極楽殿と千仏殿が撤去されて新しい仏殿が建てられているため、再建当時の姿を見ることはできない。
- 香泉寺浮屠(忠清南道指定文化財資料第179号(84.5.7))
- 香泉寺九層石塔(忠清南道指定文化財資料第174号(84.5.7))
- 香泉寺千仏殿(忠清南道指定文化財資料第173号(84.5.7))
- 忠清南道指定文化財第174号、高さ3,75mからなる九層石塔は、2代目住職の道蔵僧侶を称えるために2基(双塔)建てられたが、文禄・慶長の役でひどく破損したために4層目からは塔身が喪失しており、現在は屋蓋石だけが残っている。
- 地方文化財第179号である2基の浮屠(義覚、滅雲)と千仏殿には、義覚大師が玉でつくったとされる高さ15㎝ほどの、過去・現在・未来を意味するそれぞれ形が異なる小仏が残っており、現在は、3,053像のうち1,516像だけが祀られている。
所在地 : 忠南礼山郡礼山邑水鉄ギル294-117
お問い合わせ : 脱解寺 041-334-7798
脱解寺は、水鉄里の貯水池から西南方面に直線距離で0.7km地点にある寺で、海抜440mの龍屈山の東麓8合目あたりの丘にある。今から約1300年前、百済義慈王16年に義覚禅師が香泉寺を創建し、法力で金烏山脈である龍飛山の龍飛峰の麓に滞在した。その後、朝鮮時代にミョンウン大師が法堂を創建して寺院名を「脱解寺」として参禅したが、不運にも文禄・慶長の役で焼失したため庵で法灯を継承し続け、丙辰年に現住職のイ・ジョンハク僧侶が現在の脱解寺を重建した。
極楽殿、寮舎寨(僧房)、山神閣などの伽藍があり、これらの建造物と極楽殿に安置されている仏像はすべて、近代につくられたものである。脱解寺という寺院名は、「罪から解かれた」という意味で、以前は「陀羅庵」という名称だったが、後に脱解寺に改名されたといわれている。
所在地 : 忠南礼山郡礼山邑水鉄ギル294-117
ソンカラク(指)岩は、脱解寺の境内から西北に約50メートルほど離れた山の急斜面にある。この岩を遠くから見ると、まるで指で何かを指しているように見えることから、「ソンカラク(指)岩」と名付けられた。この岩は、「ソンカラク(指)岩」以外にも、「チャクテキ(棒)岩、カセ岩、スェソ(牛舌)岩、スィフンジル(50尋)岩、チャンストッコリ(将帥の懸垂)岩、ヨン(龍)岩」など、6つの名前を持っている。
このうち、「チャンストッコリ(将帥の懸垂)岩」に関しては、興味深い由来が語り継がれている。昔、脱解寺に道僧が1人おり、この道僧が自分の娘を典座として送ったところ、山で武術を錬磨していた将帥がその娘を見て恋に落ちた。そこで、この事実を知った僧侶はその将帥と、ソンカラク(指)岩の一番上で懸垂100回という賭けをした。ところが、将帥は99回懸垂した後に力尽きて50尋(1尋:5尺)ほど下の渓谷に落ちて死亡した。こういった由来から、この岩のことを、「チャンストッコリ(将帥の懸垂)岩」または「スィフンジル(50尋)岩」と呼ぶようになったと言われている。